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仲里 憲治

サトウキビ農家

Nakazato Kenji

沖縄県石垣市出身。
島内の高校を卒業後、東京の農業系の大学に進学する。
大学で農業の勉強をした後、島に戻ってきた。

石垣島の中で、若手の農家としてサトウキビをはじめ、各種島野菜や紅芋などの栽培を多岐に手がける。
普段接することのない観光に石垣島に来られる方との交流を楽しみにしている。

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​■生まれ育った石垣島

僕は石垣島で生まれ育ちました。

石垣島では遊ぶ場所が公園か海しかありません。

この素晴らしい海が遊び場であったことを今思うと贅沢なのですが、子ども心には「だけ」しかないことが退屈だったことを覚えています。



しかしその分、石垣島には祭りやイベント行事がたくさんありました。

その中でも、「オリオンビール祭り」と「石垣島祭り」という大きなお祭りがあります。 コロナ禍で中断していましたが、毎年今でも開かれているお祭りです。

普段は静かな石垣島がその時だけは、1ヶ所にたくさんの人が集まってきて、いつもと違う盛り上がりにワクワクしたのを覚えています。



家族でお祭りで買った焼き鳥を食べながら、家族でお祭り最後の花火を見る。

その花火はすぐ終わってしまって、儚さなみたいなものを感じてました。

定番で毎年のことなんですが、毎回特別感を感じて来年もまた見たい。

そんな気持ちを持っていました。

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​■僕がカメラを手にするきっかけ

地元の八重山高校に通うようになった頃、父の影響でバイクの免許を取得しました。

父が楽しそうにバイクをいじったり、ツーリングで後ろに乗せてもらったりしていたので、憧れがあったからです。

あと、石垣島には電車はなく、バスも少ないので、気軽に遠出できるバイクは自由になった気分がして最高でした。

今でもバイク『Z』を時間があるとツーリングしています。

 

石垣島は一周を2時間くらいで周れちゃうくらい小さい島なんですが、初めてバイクを乗った僕にとっては、どこまでも続く広大な島に感じました。

生まれ育ったはずの石垣島が違う景色に見えて、こんなに綺麗な島だったのかと思ったことを覚えています。

そんな初めてのツーリングの最後、あるビーチでサンセットを眺めていました。

少し大人になったつもりになった僕には、この夕日も違うように見えました。

 

「こんなにも彩り溢れた景色を忘れちゃうのは寂しいな」と 僕がカメラを持ち始めたのはそこからです。

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​■一度は諦めたカメラ。でもカメラしか残ってなかった。

高校生の頃、僕は都会に憧れがありました。

石垣島には高校より上の学校がありません。

卒業したら多くの同級生も同じように、島を出て都会で学校に行ったり、都会で仕事をする憧れを持っています。

僕もその一人で、僕は高校を卒業したら、とにかく東京で働きたいと思ってました。



東京で僕は、テレビ番組などの映像の編集の会社に勤め、映像編集の仕事を務めました。

その頃、僕はすでに写真を撮ることが好きでした。

でもその時は、好きなことを仕事にして、嫌いになることが怖くて、違う仕事をしようと思ったのです。

それでは映像という写真と大きくは離れていない世界に身を置きました。

島から出て、1人で東京で暮らし始めた僕にとっては全てが初めてで、苦労しました。

それに加えて、テレビ業界はかなり労働時間が長い業界でした。

朝から晩までそれこそ1日中、机に座って、ずっと誰かが撮影した映像をテレビ用に加工する。

僕がカメラを好きになって始めた頃の感覚とは随分違うところに来てしまったと感じました。

 

僕は好きなことを仕事にする決意をしました。

 

東京で挙式の撮影をメインにする撮影スタジオに転職しました。

結婚式の写真は人はもちろん、料理、建物、なんでも撮れることが魅力でした。

これまで好きで撮っていた写真でしたが、仕事となると何も知らない、何もできないことを思い知らされました。

時には、会社の先輩や上司にビシバシしごかれ写真が嫌いになりかけた事もありました。

それでも続けられたのは、「好き」が根底にあったのだと思います。



なんとか人並みの写真が撮れるようになった頃、家族の事情もあり石垣島に戻ることになってしまいました。

半分強制的な帰郷ではあったのですが、東京で身につけた力を、カメラを好きにさせてくれた地元で活かそうと思いました。



石垣島では、フォトウェディングのロケーションフォトの会社に就職しました。 ここが僕の一番の転機です。

ですが、ロケーションフォト、外で撮影するということは、結婚式で撮影するということとも、また違いました。

結構はじめの頃は余裕もなく、あたふた撮影していたことを思い出します。

でも、慣れない撮影で緊張するのはお客様も同じ。

そう気付いてから、お客様がどれだけリラックスして、自然体でいられるかを考え、お客様の大事な時間を切り取れるようにと考えながらシャッターを切れるようになりました。





趣味から始めたカメラ、好きで始めたフォトグラファーという職業ですが、今では天職だと思っています。

おふたりの、大事な時間を記憶と記録に残すお手伝いができるからです。



2022年9月に前職ロケーションフォトの会社から退職し、BlueSodaに参加。

フリーランスとしても活動を始めました。 ウェディングはもちろんのこと、ファミリーやカップル、ニューボーンから成人式と人生において節目となる日を残せるようにと日々勤しんでいます。

 

カメラの力を借りて、一期一会から一生の大切な写真を撮れる関係性をつくっていきたいです。

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​■メッセージ

写真を撮る。

今では何気なくできてしまうことですが、その中の一枚が一生残るかもしれません。



今しか撮れない、今しか残せない、写真との一期一会の出会いを楽しんで欲しいです。

そんな一期一会の出会いを続けて、皆さんの写真と一生お付き合いさせていただけるようになったら嬉しいです。



でも、せっかく石垣島まで来たのに、写真の事ばかり考えていてはせっかくの旅行が疎かになってしまいます。

僕の故郷にいらっしゃる皆さんには、純粋に石垣島での旅行をめいっぱい楽しんでいただきたいです! そしてその思い出をしっかり持ち帰れるよう僕がお手伝いさせていただきます!

石垣島でお待ちしております。

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